第2部 礼典諸式 第5節 聖餐式 洗礼式と聖餐式とは、新教において二大聖典として行われている。培餐者はどの教会でも洗礼を受けた者に限られている。危篤の病人の希望によっては、病床で行うこともあり得る。 司式者は按手礼を受けた教職がこれにあたる。多くの場合説教語に行われるから、時間短縮のために適宜省略して簡単に行うこともできる。 この式は儀式そのものから、十字架の深い贖いの恵みと十字架の愛とを味わうものであるから、主の臨在を崇めつつ執行するのがよい。 賛美 聖歌 206番「しみもとがも」 式辞 愛する兄弟姉妹、いま私たちは尊き救い主の贖いの恵みによって神の子とされ、主の定められた尊い聖餐の恵みにあずかろうとしています。それゆえパウロが「ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」と教え、また「みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」と勧めておられることを覚え、自ら省みて、自分の罪を悔い改め、信仰を持ってこの聖餐にあずかるべきであります。 キリストはすでに私たちの罪のため、十字架にかかり、その死と苦しみとを通し て世の罪を贖い、いさおなき私たちを義なる者とし、招いて神の子としての限りないいのちを賜うことを約束されました。このように主キリストは私たちを愛して、その計ることのできない恵みを常に私たちに記憶させるため、この聖餐を定められました。 それゆえ、そのご恩寵に感謝してこの式を守り、主イえスの世を審くため再び来りたもうその時まで、忍耐を持って奉仕し、キリストが私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合うべきであります。 祈祷 ご慈愛に富みたもう父なる御神よ、私たちのために贖いとなってくださった主を記念する聖餐の式を御前に守らせてくださる恵みを感謝いたします。願わくは、この式を通して格別な神のご恩寵を味わうことができるようにしてください。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」主よ、私たちにより深い恵みと愛とを知らせてください。主の御名によってお祈りいたします。 アーメン。 聖書 コリント人への手紙第一、11章23-26節 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えるため、このようにしなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えるため、このようにしなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。 マタイの福音書26章26-28節(省略してもよい) また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(ルカの福音書22章7-23節参照) 祈祷 天の父なる御神よ、私たちは今、流されたまいし御血潮のゆえに、御前に進み出て聖餐の恵みにあずかることのできますことを感謝いたします。 私たちの贖いのためこの世に来てくださいました主イエス・キリストのご苦難と十字架上の死と、その復活およびご昇天とを記憶し、ここから出る大いなる恵みを感謝しつつ、御前にて御子の命じられた聖礼典を執り行おうとしております。 主よ、みこころに背いた罪がありますならば悔い改めますから、十字架の救いを信じ、清めてくださる御血潮の御力を信じる私たち一同の罪を赦し、清めてくださるよう、お願いいたします。いま信仰を持って主の定めに従ってこのパンと杯とを受け、キリストの尊い御体と御血とにあずかることができるようにしてください。かくして私たちの霊性と肉体とに、新しいいのちと力と限りない主のご愛とを増し加えて、十字架を負って主に従うことを得させ、主イエスの再び来てくださる時まで耐え忍ばせてください。御子と聖霊とともに統べ治められる全能の神に、栄光が世々限りなくありますように。私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。 アーメン。 聖別祈祷 (司式者は両手をパンと杯の上にかざすか、聖器をささげ持って祈る。) あわれみ深い主よ、いま御前に供えたパンとぶどう酒とを、御父と御子と御霊の尊い三位の御名をもって聖別してください。信仰をもって受ける私たち一同を恵み、霊性と肉体とを強め、全き奉仕をなさせてくださるようお祈りいたします。 アーメン。 (陪餐者を恵みの座に進ませてもよい。座席の関係では司式者が持参することもある。教職者多数のときは数名の者がこれにあたる。司式者はパンと杯の分配中に、後に列記した聖句の中のどれかを朗読してもよい。また、一人一人に分配する教職が、小声で「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました」等、十字架に関する聖句を唱えつつ分配するのもよい。要は、厳粛を守り、式典そのものによって恵みを味わい、主の聖臨在を感じるよう努力することである。) 聖餐前祷 天にいます全能の御父よ、御慈しみをもって独り子イエス・キリストをこの世にくだし、私たちの罪を贖うため十字架の死を受けさせられました。キリストはその身をささげて傷のない犠牲となり、全き供物となって、全人類の罪を贖ってくださいました。主はみことばによって、私たちがその尊い死を記念する式を設けて、主の再び来りたもう日まで常にこれを行うべきことを命じられました。 ご慈愛深い父よ、願わくは御耳を傾け、いま私たちの慎んで祈り求めることを聞いてください。こいねがわくは、私たちが、御子イエスの死と、その受けられた御苦しみとを記念し、主の御名によって賜るこのパンとぶどう酒とを受けることにより、キリストの尊い御体と御血とに、私たちをあずからせてください。願わくは、主よ、聖餐によって与えられるすべての恩寵を、私たちに注いでください。私たちの主イエスの御名によってお願いいたします。 アーメン。 分餐の祈祷 (司式者はパンの器を手に持つか、手をそれにかざして祈る。) 願わくは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの御体、あなたがたの魂と肉体とを守って永遠に至らせてくださいますように。キリストがあなたがたのために死んでくださったことを忘れないために、感謝と信仰とをもってこれを取って食し、あなたがたの心に主の養いを受けられるように。 アーメン。 (パンの分配後、杯を載せた器を手にして祈る。) 願わくは、あなたがたのために流された主イエスの血、あなたがたの魂と肉体とを守って永遠に至らせてくださいますように。キリストの血があなたがたのために流されたものであることを忘れないために、感謝してこれを飲み、主の御愛と恵みとを味わわれるように。 アーメン。 陪餐中の朗読聖句 ヨハネの福音書六章抜粋(適宜に用いる) 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(27節) イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からのまことのパンをお与えになります。」(32節) 「神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」(33節) イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(35節) 「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(40節) 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。」(47,48節) 「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(51節) イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」(53節) 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」(54節) 「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」(55節) 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。」(56節) 「生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」(57節) 「これは、天から下って来たパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」(58節) シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」(68,69節) (式中に聖歌206を歌うのもよい) 陪餐後の感謝祈祷 慈しみ深き父なる御神、限りないあわれみをもって私たちを招き、主の食卓の恵みにあずからせてくださいましたことを感謝いたします。 神はこれによって、御子イエス・キリストの贖いの恵みを私たちのうちにあかしし、私たちの罪を赦し、けがれを清めて永遠のいのちを与え、御国の相続者としての望みを堅くしてくださいました。かくして私たちに、ご再臨の主を慕い、神の国とその義とを求める思いとを与えてくださっておられる恵みを感謝いたします。 私たちは弱く、何もささげるものがない者ですけれど、願わくは聖霊の御助けによって、この身を生きた供物として神にささげ、感謝の意を表することを得させてください。願わくは、私たちに主の御体の枝としての自覚をますます深くさせてくださり、心を一つにして主に仕え、キリストの苦しみにあずかり、時が良くても悪くてもみことばをあかしする者とならせてください。特に選ばれて、新約の祭司として召されている私たちを、主のご再臨の速やかになるよう祷告と警告に励む者とならせてください。主よ、あなたが常に私たちとともにいてくださって、私たちが、御国に迎え入れられる日まで信仰の戦いをよく戦い、永遠のいのちの成就を得るに至ることができますようお願いします。主イエスの御名によってお祈りいたします。 アーメン。 主の祈り 賛美 聖歌 608「イエスはわがいのち」 (聖餐式に用いた聖別のパンとぶどう酒の残りは、司式者か聖職にある者が感謝して食し、処分すること。)